凸凹を生きる〜変な子に生まれて

(2018/10/23:猫と靴下のかたっぽというブログ名から変更しました)一人(半人前)と一匹で考える発達障害のこと、福祉のこと、喜びも怒りも

マウンティング障害者についての考察(障害受容のすすめ)


発達障害は緩やかなグラデーションのある障害です。
とりたてて目に見えるどこかに障害や欠損があるわけではないので、健常者の中で健常者として生きることも可能でしょう。隠したり、無理したり、能力強化に励むなどの多大な努力は必要でしょうけれど。
しかし大人になるにつれ無理がたたって障害を認めざるを得なくなり、障害者カルチャーに「降りてくる」という図式が見えます。
その時の反応として「自分と同じように困り感を抱えている人たちがいる!」という共感から来る喜びとか「障害特性から来る苦手さは自分が悪い訳ではなかった!」という安堵感からすんなりと発達障害を受け入れられる人も多いです。私もその一人です。
しかしもう一つのパターンとして「私はこの人たちほど悪くない」「この人たちと同じなんて侮辱だ」と否定的に捉えられる方もいます。
いいんです。障害受容はゆらぎの中で行われるものだと思います。受け入れられないなら受け入れなければいい。それは自己決定です。
でも受け入れられないなら障害者カルチャーに足を踏み入れないでほしい。すごく嫌な言い方になるけど、障害を受け入れ「できないことも苦手なこともある。でもこれが私でありこの私で生きていく」と決めた人たちをマウンティングで蹴落とさないでほしい。健常者未満障害者以上と思っているのかもしれないけど、障害を受け入れた障害者は強い。健常者仕様に作り上げられた社会の中で生きていくためのハンデキャップを障害年金で補填し、自身の特性をよく知ることで職業選択もよりしやすくなる。確かに社会保障やサービスはまだまだ未発達かもしれないけれど、障害を受け入れるからこそ権利の主張ができるのです。当事者の主義主張のおかげでより良い社会に育っていくのです。
私には、宙ぶらりんの人間に差し出す手など持ち合わせていません。苦しみながらもがきながらでも障害とともに生きていくと決意した人たちと、共に生きたいし戦いたい。
健常者の中でのマウントに破れ、障害者の中で優越に浸ろうとする奴らは健常者の、障害者の風上におけない。勝手に一生困ってろ。
論文読みました。無理はもうやめよう。まず自分を認めよう。自分を認めて人を認めて、よりよく生きる方法を模索しよう。