凸凹を生きる〜変な子に生まれて

(2018/10/23:猫と靴下のかたっぽというブログ名から変更しました)一人(半人前)と一匹で考える発達障害のこと、福祉のこと、喜びも怒りも

「一般人と発達障害者の違いをドラクエで例えてみた」の薬の捉え方に疑問

一般人と発達障害者の違いをドラクエで例えてみた - 望月志乃の ひびわれたまご

こちらの記事。

「ステータス異常がかかってる」感じ、すごく共感できる。正しい選択、最適な判断を何故かいつも出来ずに「こんなはずじゃなかった、、、」が積もり積もる。山になって身動き取れなくなる。

でもお薬に対する書き方に疑問が湧いたというか「こんなラッキーな効き方の人もいるのか!」と驚いた次第です。

以前もちらっとお話ししたのですが

コンサータを、ストラテラを、飲んで変化した自分は自分なのか問題 - 猫と靴下のかたっぽ

私の薬から得られた感覚は「マイナスの底上げ&プラスの減少」であり、出る杭(と言えるような能力は無い、至ってそんなものは無い 泣)や目立つ何かを目障りと感じる日本社会においてフラットになったほうが生きやすいでしょ?さぁどうする?っていう選択を迫られて、結果「今のところは」服用を容認してるっていう消極的な感じなんですね。いくら得意な分野があったとしてもそれ一個を武器に生きていく勇気なんて到底ない。それなら個を消してしまったほうが楽だ、という書けば書くほど悲しい感じ。

こちらの記事を書かれた方は、薬を服用することによって障害となっているステータス異常は取り払われ且つプラスの能力はそのまま発揮なんてめっちゃすごい。というかすごく都合のいい効き方というか、それならそりゃ飲むよ!なんの迷いもなく飲み続けますよ!って思った。

いろんな人がいるからしょうがないけど、でも薬の服用に関しては自分の気持ちはいつも右往左往してる。助けてくれてありがとうっていう気持ちと、私を返してって気持ちと。今の自分の生きやすさと引き換えに寿命を縮めてるんじゃないかっていう未来に対する不安と。

薬こそ魔法じゃないよって、私だったらそう言いたい。