凸凹を生きる〜変な子に生まれて

(2018/10/23:猫と靴下のかたっぽというブログ名から変更しました)一人(半人前)と一匹で考える発達障害のこと、福祉のこと、喜びも怒りも

どうして生きてるの?

今、生きることがとても辛いです。

でも死ぬこともできません。

薬に頼るしかないのだろうか。入院するしかないのだろうか。

同じ障害を持ちながら、今生きている人にどうして生きているのか聞きたいです。

日々、一秒一秒、いつ死んだって構わないのに生きることを選択している自分がわかりません。

何か理由や希望を持って生きてる人はどれほどいるのだろう、とか私と同じように死ねずに生きてしまってる人が意外と多かったりするのかとか。

私だけなのか、私だけじゃないのか知りたい。

どのみち死ねないのだから、生きる理由がほしい。

ブログタイトル変えました

ふと、降ってきた名前に変えました。

もうどこかで使われてるかな?とも思ったけど、検索してもヒットしなかったのでそれなら良しだと。

私は凸凹に悩み振り回され絶望してきました。これからもきっとそうだと思う。

「自分の個性」なんて明るく捉えられたらどんなに生きやすいだろう。

一時は自分が多重人格なのではと思うほどに、たくさんの矛盾した思いに妥協点を見つけられず疲弊してたこともありました。

すべての思いを満足させられるほどの器量も体力も財力もない自分をとことん呪いました。それは健常者として生まれても発達障害者として生まれても、誰でもどこかでぶちあたる壁なんだろうけど、だから「私もそうゆうことあるよ」ってみんな軽々と言うのだろうけど。でも自分にとってはその壁がいつも見上げるように高く、八方に点在しており、どこに向かったらいいのかわからない状態で生きてきました。

今、どう生きたらいいのかわかりません。ただ相方の猫が居てくれるから、かろうじて命を繋げられています。でもいずれは猫のためでなく自分のために自分の道を選択できるようになりたい。

なにが言いたいかというとまぁ、猫は神であるってことです。

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働けるということのグラデーション

障害年金の相談を医者とした際「まぁ働いているので、3級は妥当でしょ」とサラリと医者に言われてその認識の浅さに愕然としました。

フルタイム、パートタイム、障害者雇用。また中身も最大限の配慮があってやっと行けている状態なのか、はたまたそれでも休みがちなのか。就労場所までの移動はどうしているのか。グラデーションがあります。

就労に関して統一した基準が無く、生活能力から判定を出すわけですからその中身を詳細に記す必要があるわけです。

今後も根気強く医者とは戦っていくつもりです。診断書は納得でるまで内容を推敲し、きちんと2級を勝ち取れる状態で提出します。ソーシャルワーカーと共に、教育します。口うるさい患者になります。

発達障害の大人が子どもにできること

障害児の為のデイサポートや支援事業施設など、発達障害を抱えた子たちが障害に気付いたその時から周囲のサポートを受けられる環境が整ってきてますね。
発達障害の子どもが大人になったとき、人との関係や仕事との関係、社会との関係を良好に築ける、または築きやすくする、障害を最小限にできるかどうかはまさに幼少期の大人の関わり方にかかっていると思います。
アレントレーニングなんて言葉もありますが(個人的には保護者教育じゃだめなの?って思うけど)親から受けた言葉態度のひとつひとつが成長途中の子どもの心身に刻まれ、プラスな言葉は自信に、マイナスな言葉は痛みや不安となってずっと残ります。
私が子どもだった頃は「発達障害」なんて概念すら無かった(知らなかった)ので、常に「変わった子」「できない子」「トロい子」として叱られながら大人になりました。今、発達障害だと頭では理解しても、心は子どもの頃の不安で弱い私のままで、記憶を上書きできずにいます。
だから発達障害の概念が浸透した今、治る(矯正できる)ものではないってことをしっかり受け止め、その子一人の基準で他と比べず、できることを喜び、できないことを支え工夫し、ゆったりとした成長のスピードをのんびりと楽しんでもらいたいなと、発達障害の子の親に思う次第です。
もし理解できない行動や言動があれば、大人になった当事者に聞いてみたらいいんじゃないかな。障害の先輩として、健常者の社会の中で生きざるを得なかった、私たちの時代の発達障害者たちはきっと身近な翻訳者になれるんじゃないかなって思う。そしてそんな機会がたくさんあればいいのになと。今の子たちがのびのびと大人になれたら、時代が羨ましいしやっぱり同じ当事者として嬉しい。
大人同士の当事者間でのピアサポートももちろんありがたいけど、子どもの発達障害のために何か出来事があればいいな。

苦しい気持ちを吐き出せる場所を、予防的に持っておく

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どうしょうもなくしんどく辛くなったとき、こんなコールセンターがあることはご存知でしたか?急に来る辛さとか「死にたい」っていう言葉は、外に出すだけでふわっと軽くなるってこと割とあると思うのです。

そしてこのよりそいホットラインがSkypeを通した通話にも対応したとのことで、これはお知らせしなきゃと。Skypeの連絡先に入れておけばぐわっと辛くなったとき、ふとアイコンの画像に気付いて「聞いてもらおう」って繋がれるかもしれないし。

いざというときのために連絡先登録しておくのがいいと思います。

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あと、最近好ましいと思えるコンテンツはこれ。

www.blindletter.com

コンセプトや運営があたたかいなと思った。

自分の吐き出した言葉がふわふわとネットの海を漂う感じも、イメージするとゆらゆら落ち着く。自分の負の気持ちを書き出して流す。デトックスになりそう。

教育が人を支えてくれると思うのです。


それはそれはショックを受けた記事です。
つい最近女子の大学進学率が全国平均5割を越えたというニュースを見て、「半分が進学できるなんて、大学ももはや特別ではない。教育が身近になるのはいいことだなぁ」と思っていた。合わせて
こんなニュースもあったし。教育を等しく受けられるというのは、貧困の連鎖を断ち切ることができるようになるということ。職業選択の自由が保障されるということ。
少しずつだけどいい方向に向かってると思った矢先の、まだまだ根深いあらゆる差別が残っていることを露呈させる記事。
それこそ私の家なんて、生まれも育ちも北海道で、貧困に育ち、私は女。「女に教育なんかいらない」と親が思っていたとしても、親だけを責めることができないほどの残念な数字。
それにプラスして障害者。「上を見てもキリがない。できることをやって満足しなさい」と、障害者には夢は不要宣言を述べられる始末。
もうすぐ平成も終わる。この近代社会にも様々な差別は根強く確実にある。生まれてきたその日その場所性別から、自分の運命は決定付けられてしまっているという悲しくやりきれない事実。
あたらしい年号の日本では、どこに生まれてもどんな性別であろうと貧困や家業に縛られることなくのびのびと教育を受けられる社会を望みます

ここまで書いて思ったけど、結婚も全く同じ理論が成り立つな。当人(当人同士)の意思が第一に尊重される社会になりますように。

音声ブログ、はじめてみました

音声配信に特化したブログサービスもあるようですが、HTML5を使えば簡単に音声を貼り付けることができると知り、興味本位、見様見真似ではじめてみました。

発達障害者の中には聴覚優位な方も多いでしょうし。

需要があるかはわかりませんし、いつ飽きるかもわかりませんが(汗)素人の読み上げを添付してみました。(これでも高校時代は放送部のアナウンスに所属していた程度に朗読は好きなのです)

手初めに過去記事を読み返してみた。

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pdd.hatenablog.jp

pdd.hatenablog.jp

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、、、私の声、もったりしてる(泣)

まぁ、自分の中での流行りが過ぎ去るまでは続けてみようと思います。

あと続けるコツとして、多少読み間違えたり猫の鳴き声が入ったりしても内容に大差無ければアップしてしまおうという方針です。一言一句正確な読上ではないのでご了承ください。